地球内部と地球を取り巻く空間は、巨大な地磁気の場を構成しており、当観測所は、この地磁気を高い精度で定常的に観測し、地球内外の地磁気の状態及びその変化の監視・解析を行っています。
また、その成果を公表して、地磁気に関する調査・研究、太陽地球系の環境監視、宇宙天気予報、航空機及び船舶の安全運航の確保、無線通信障害の警報、火山活動評価等のために、重要な情報として活用されています。
なお、地磁気を定常的に監視し、自然現象としての地磁気を理解するためには、人工擾乱によって地磁気が乱されない場所において、精密かつ安定した測器を用いて長期間にわたり連続して観測を行うことが不可欠であるとともに、国際協力のもと全球的な観測網を構成することも極めて重要なことです。
日本における地磁気定常観測は、第1回国際極年観測(1882年〜1883年)を契機に1883年(明治16年)東京市(当時)赤坂で始められました。その後柿岡(茨城県石岡市)に移転し、地磁気観測所として、1913年(大正2年)1月から現在まで、約100年の間継続して地磁気観測を行っています。
地磁気観測所は、気象庁に所属する機関(施設等機関)の一つとして、地球磁気、地球電気に関する観測および調査を担当しています。柿岡に本所、大空町女満別(北海道)と鹿屋市(鹿児島県)に、それぞれ女満別観測施設、鹿屋観測施設を置き、世界各国の観測所と連携しながら、地磁気の定常的な観測を行っています。また、父島(東京都小笠原村)にも観測点を設置し、地磁気を観測しています。
また地磁気観測所は、1973年(昭和48年)には地球を取り巻く赤道環電流の強さを表す指数(Dst指数)を決定するための、世界で4カ所の地磁気観測所の一つとして国際的に重要な観測所となっています。日本国内においては、日本で唯一の地球電磁気測器の検定機関でもあります。
地磁気観測所では、こうして得られた観測データをもとに、観測に使用する測器の改良や観測技術の開発、超高層物理現象の解析、火山活動評価等を目的とする調査・研究を行っており、これまでに多くの成果をあげてきました。また南極におけるオーロラなどの超高層物理の研究・観測のために、これまでに何度か越冬隊員として職員を派遣し南極観測事業に協力しています。その他大学や研究機関においても、通信障害の予報や磁気図作成などのための重要な資料として使用される他、世界中の研究者に利用されています。
IAGA code |
緯度 Latitude (N) |
経度 Longitude(E) |
磁気緯度 Latitude (N) |
磁気経度 Longitude(E) |
標高 Altitude |
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柿岡 (Kakioka) |
KAK | 36°13′56″ | 140°11′11″ | 28.00° | 209.80° | 36m |
女満別 (Memambetsu) |
MMB | 43°54′36″ | 144°11′19″ | 35.96° | 212.39° | 42m |
鹿屋 (Kanoya) |
KNY | 31°25′27″ | 130°52′48″ | 22.56° | 201.72° | 107m |
父島 (Chichijima) |
CBI | 27°05′46″ | 142°11′06″ | 19.11° | 212.64° | 155m |
日本測地系2000 (JGD2000)、地磁気北極:80.65N,72.68W(2020年、IGRF-13) |
柿岡の地で地磁気観測が始められたのは大正2年(1913年)のことです。これは、それまで東京の中央気象台(気象庁の前身)で行われていた地磁気観測が市内電車(直流)の開通により続けられなくなったためでした。地磁気観測に適した土地としてこの地が選ばれた際には、物理学者として名高い寺田寅彦が大きな役割を果たしました。柿岡での地磁気観測は、その後、戦争中も含め休みなく続けられています。観測精度の高さは広く国際的に認められており、長期間にわたるその観測データは人類の財産となっています。人工ノイズから観測を守るために用意された広い敷地には、これまでの長い期間に建設された歴史的な建造物もあり、また日本タンポポなど、豊かな自然も残されています。